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2016年7月 1日 (金)

笠森お仙

  女子高生ミスコン2016でグランプリに輝いた愛知県出身の永井理子(18歳)。写真をみると、きゃりーぱみゅばみゅに似ている可愛い系で大評判。応募者総数64万人の中から選ばれただけのことはある。江戸時代でいえば笠森お仙だろうか。

    江戸は、男と女、圧倒的に男の数のほうが多かった。吉原や岡場所が繁盛したのはそのためだが、女に触れられなくても身近に感じられればよい、しかも払いは安く、といった需要に応えた風俗営業が水茶屋だった。一般に湯茶の接待をするところが茶屋だが、水茶屋は美女を置いて客の接待に当たらせたやや高級な休み茶屋。店を小奇麗にし、掛行灯をかけ、良質の茶を使ったが、客の目当ては看板娘。水茶屋の茶汲女が評判を呼んだのは明和年間(1764-1771)の笠森お仙(1751-1827)である。お仙は、谷中笠森稲荷の境内にあった水茶屋鍵屋の娘。美人との評判が高まり、笠森稲荷に人々はむらがったのは明和5年、お仙18歳のとき。父親の営む茶屋には13歳のときからずっと手伝いに出ていたが、錦絵の鈴木春信が次から次へとお仙の一枚絵を出して人気が沸騰。ところがお仙は20歳のとき結婚して姿を消し、老父が店に立ったから「飛んだ茶釜が薬缶に化けた」という歌がはやったという。人気役者瀬川菊之丞との駆落の噂まで出たが、お仙は倉地甚左衛門と結婚し、数人の子をもうけ76歳で没した。お仙は谷中の笠森稲荷前の水茶屋の娘として1752年に生れ、柳屋お藤、蔦屋お好とともに江戸三大美人といわれた。(参考:「大江戸ものしり図鑑」主婦と生活社)

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