歴史人物の再評価
歴史上で悪名高い人物がいる。たとえば蘇我入鹿、弓削道鏡、平清盛、高師直、吉良義央、田沼意次などである。これらの人物評ははたして正当なのだろうか。たとえば田沼意次などは近年、再評価がなされている。だが蛮舎の獄の張本人の鳥居耀蔵や源義朝を謀殺した長田忠致、新選組の芹沢鴨などはドラマの中ではつねに悪人である。
中国史ではもっとスケールが大きい。始皇帝や煬帝などは悪逆非道の暴君として、古来評判が悪かった。とくに始皇帝は万里の長城修築のため多数の人民を徴発し、重税を課し、いわゆる焚書坑儒によって政治を批判する自由を圧殺したという理由からである。ところが、1970年以降になると、はじめて全国統一をなしとげた偉人としての評価が高くなってきた。兵馬俑坑の発見は決定的となった。批林批孔運動で一時期評価が大きく下がった孔子だが、1990年代以降、孔子への評価は完全に復活した。
では宰相クラスの人物はどうであろうか。北宋の蔡京(1047-1126)は奸臣、姦臣といわれてきた。徽宗皇帝にとりいって政権を掌握した。新法によって税をとりたて、徽宗に贅沢を勧めて、自身の栄達をはかった。そして金と同盟して遼を滅ぼしたのはよかったが、あべこべに金に国都開封を攻められ、国は滅び、南宋となる。 蔡京のような悪臣は日本史にはなかなか見当たらない。かつて宮崎市定(画像)も蔡京のことを「姦臣」とよんでいる。徽宗は芸術を愛し国費を浪費し国を滅ぼしたとされるが、近年、日本の若手研究者により政治に関心を持っていたとする一定の評価がなされている。(参考:宮崎市定「姦臣蔡京」歴史と人物 第8-11 1972年、藤本猛「風流天子と君主独裁制」 2014年)
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