無料ブログはココログ

« 円空と芭蕉 | トップページ | キプロス »

2016年7月15日 (金)

ナポレオンのエジプト遠征とロゼッタ・ストーン

Rosettal
 ロゼッタ・ストーンの発見(1799年)

   ナポレオン(1769-1821)のエジプト遠征は外相タレイランの構想でもあったが、ナポレオンがこの無謀とも見える計画に乗り気になったのは、ナイル河口をおさえてイギリスのインド支配に圧迫を加えるという目的があった。

   ナポレオンの率いるフランス艦隊は、1798年5月19日、ツーロン港を船出した。7月1日、アレクサンドリアに上陸し、ただちに町を占領した。カイロ近郊に進んだナポレオンは、決戦を目前にして、エジプトの長い歴史を物語るピラミッドに心を打たれた。

    「兵士諸君、四千年がわれわれを見下ろしている」と将兵たちを激励した。7月21日、ピラミッドの戦いにおいて、エジプト太守ムラード率いるマムルーク騎兵隊に砲火の威力でナポレオン軍は大勝した。だが、8月1日、アブキールの海戦で、フランス艦隊はネルソンのイギリス艦隊に破れて全滅した。ナポレオンは、上エジプトを征服し、長期占領体制を整えていった。しかし1799年のシリア出兵に失敗し、8月23日、数千の兵を残して、ナポレオンはひそかにエジプトを脱出し、10月にパリにもどった。

   ナポレオンのエジプト遠征そのものは失敗であったが、文化史上不滅の足跡を残した。当時まだ知られていなかった古代エジプトの遺跡などが調査され、その結果が1809年から1813年にかけて「エジプト誌」として刊行された。また遠征中、ピエール・フランソワ・ブシャール大尉が1799年7月15日、発見したロゼッタストーンは、ジャン・フランソワ・シャンポリオン(1790-1831)によるヒエログリフ解読の手がかりとなった。

« 円空と芭蕉 | トップページ | キプロス »

今日は何の日」カテゴリの記事

コメント

数千の兵士を残してひそかにエジプトを脱出って…。最近あつた海難事故の、乗客残して自分だけちゃっかり脱出した船長が思い浮かびました。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 円空と芭蕉 | トップページ | キプロス »

最近のトラックバック

2017年9月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30