最新の古代史論争
弥生時代の青銅器には銅剣・銅矛・銅鐸などあるが、銅剣や銅矛が北九州を中心にして多く発見され、銅鐸は近畿地方が中心として多く発見されるので、この時代には、2つの文化圏があったと考えられていた。ところがこのような考古学の常識を覆すような発見が続いた。1984年のこの日、島根県の神庭荒神谷遺跡で銅剣358本、銅矛16本、銅鐸6個が出土した。そこから南東3.4kmのところにある加茂岩倉遺跡で銅鐸39口が発見された。大きな銅鐸の中に小さな銅鐸が入っている「入れ子」状態が15組もある。どのような理由で弥生人は銅鐸などを埋めたのであろうか。銅鐸は豊作を祈る儀式として使われたと考えられている。いままで使用してきた祭器が不要となる社会変化とは何か古代史の謎はさらに深まる。つまりこれまで、古代日本の中心は「畿内説」「九州説」を中心に論議されてきた。しかし、近年、荒神谷遺跡以来、加茂岩倉、妻木晩田、松江田和山、青谷上寺地、出雲大社の3本柱、など山陰地方におい、他の地域に類例のない遺跡の出土が相次いでいる。古代日本の中心地は、果たして畿内か、九州か、山陰か?(7月12日)
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