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2016年7月 1日 (金)

江戸時代に盛んだった庚申請の行事

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  インドの三猿

 「見ざる、聞かざる、言わざる」の三猿といえば、日光東照宮の彫刻を思いうかべる。しかし、三猿をかたどった造形は世界各地に分布している。猿の棲息する東南アジアやインドやアフリカはもとより、猿のいないヨーロッパや朝鮮半島にも、さまざまな三猿像が広まっている。インドが発祥地と考えられるが、宗教というよりも、「見ざる、聞かざる、言わざる」は民間に流布した一種の道徳であり、処世訓である。この考えを猿の姿をとおして表現したのは、もちろん日本語の否定形の「ざる」が動物の「猿」と同音であることによる。しかし、このことは三猿の日本起源を証明するものではない。

    日本における三猿の代表は、日光東照宮にある木彫の三猿である。徳川家康を大権現として祀る霊廟に、三猿が飾られているのは、この場所が厩(うまや)に当たるため、猿が火伏(ひぶ)せの力を持つこととなって、東照宮を火から守っているのである。さらに、天台宗の僧で、東照宮を建立した天海大僧正の主張により、家康の葬儀は山王一実神道によって執り行われた。すなわち天台宗と結びつきの深い、山王の象徴としての神猿に近い役割を、日光の猿が持っているのである。

    もうひとつの起源として庚申信仰をあげることができる。庚申は「かのえさる」とも読み、その連想から江戸時代初期以降、猿が庚申塔に刻まれるようになったらしい。庚申は道教に端を発する民間習俗である。60日毎の庚申の日に、人びとが集まり飲食歓談し徹夜するのは、体内から三尸の虫が抜け出し、天帝に悪事を報告し、寿命を縮めてしまので、それをさせないためである。庚申講を地域社会の寄り合いとして利用していたところもあり、そこでは「見ざる。聞かざる、言わざる」は仲間どうしの掟にもなっていた。

  「論語」のなかには、「非礼勿視、非礼勿聴、非礼勿言、非礼勿動」というくだりがある。実際、中国では、母は胎教にあたって「目は悪色を視ず、耳は淫声を聴かず、口は傲言を出さず」といましめられている。このように日本の三猿のルーツのひとつは道教にあり、もうひとつには儒教があげられる。しかも、それが日本では天台系の仏教の影響下に定着し、猿にかかわる民間信仰とも結びついていた。

    ところが、今日の世界各地でみられる三猿には宗教的な色彩はうすい。むしろ装飾品や日用小物として使用されるものが圧倒的多数を占めている。しかも、ヨーロッパやアフリカには「見ろ、聞け、言うな」あるいは「見ろ、聞け、言え」という三猿もすくなくない。また、四猿や五猿の組み合わせも存在する。日本の郷土玩具のなかにも、「不為さざる」あるいは「不思わざる」の猿が加わり、四猿や五猿の玩具もみられる。五猿は、猿がゴザル、福がゴザルに通じ、護猿(守りサル)としても験をかついでいる。さらに、「見てみたい、聞いてみたい、言ってみたい」と人間の本音を具象化した逆三猿の玩具まである。ともあれ、三猿の起源はいまだ十分に解明されていない。(参考文献:中牧弘允「世界の三猿」東方出版)

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