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2016年7月15日 (金)

キプロス

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    地中海の東に浮ぶキプロス島。ここには歴史を物語る文化的建造物や遺跡が多数ある。前7000年頃には人が住んでいた。ギリシア人はアラシアと呼んでいた。エジプト、ギリシア、ペルシア、ローマなどの侵略と支配に晒された。首都レフコシア(ニコシア)の城壁と砦に囲まれた旧市街にも名所や遺跡が多い。1960年8月16日、イギリスから独立した。だが1974年7月15日、マカリオス大統領(1913-1977)が追放されて以来、南のキプロス共和国と北キプロス・トルコ共和国(トルコ軍実効支配地域)に分断されている。レフコシアはプトレマイオス1世(前367-前282)の息子レフコスによって再建されたので、レフコス(Lefkos)と地名接尾辞イア-iaの合成地名か。英語名ニコシアは、ギリシア神話の勝利の女神ニケに由来する。ラルナカの西南40kmのところにあるレフカラ村には、レオナルド・ダ・ヴィンチが1481年に訪れ、ミラノ教会に寄贈するためにレースを購入したと伝えられている。しかしダ・ヴィンチのキプロス旅行は年譜などには見当たらず、伝承の域をでないものであろう。

  2015年1月13日、北キプロス・トルコ共和国初代大統領ラウフ・デンクタシュ(1924-2012)がニコシアの病院で亡くなった。トルコ共和国初代大統領ケマル・アタテュルク(1881-1938)の名前を覚えるようにラウフの名も記憶にとどめたい。

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