道は近きにあり
ある僧が趙州和尚に向かって「如何なるか是の道」と問うたところ、趙州が答えていうには「墻外底」(墻の外を見よ)、おぬしそこを通って来たろう、あれが即ち道じゃ、ということであった。それで僧が改めて「這箇の道を問わず」いや、私はそんな道を尋ねているのではありません、大道を尋ねておるのですというと、趙州曰く、「大道、長安に通る」そうか、大道なら長安に通っておるよ、と言ったという話がある。
つまり、「春は何処、春は何処」と草鞋ばきで一日中あちこち尋ねまわったが、一向に花にもめぐり会わない。それで疲れきった足を引きずってわが家にかえってみると、ふとよい香りがして、見れば庭の梅の木に花が咲いていた。春はまさにここにあったのである。
「道は近きにあり、然るにこれを遠きに求む」孟子離婁上「道在邇而求諸遠」人が追い求める理想は手近な日常生活にこそあるものだが、人は理想が現在とはまったく遠く離れたところにあると思い込み、結果遠回りしてしまう。この逸話の趙州和尚とは唐末の禅僧、趙州従諗(じょうしゅうじゅうしん)のこと。メーテルリンクの劇「青い鳥」も人間は幸福を遠くに求めたがるが、それは実はわれわれの身辺にあることを述べている。
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