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2016年7月26日 (火)

方広寺鐘銘事件と片桐且元

Houkouji06062510_1    1614年のこの日、南禅寺の僧、文英清韓(1568-1621)は片桐且元の命により方広寺の梵鐘の銘文を起草したが、徳川家康はその文言に不吉な語句があるとして、言いがかりをつけ大仏開眼供養の中止を求めた。且元は弁明のために駿府に赴いたが、家康に会うこともできず、「淀殿を人質として江戸へ送るか、秀頼が江戸に参勤するか、大坂城を明け渡すか」と3ヶ条を言い渡された。しかし淀殿のいまひとりの使者・大蔵卿の局が言うのには「家康は機嫌よく会い、いささかの害心もない」というのであった。淀殿は大蔵卿の局の報告を信じ、且元を裏切り者として罵った。こうして淀殿の信頼を失った且元は大坂城を退去する。しかしこれが豊臣家討伐を目論む家康の筋書きであった。(7月26日)

参考文献:曽根勇二「片桐且元」(人物叢書)

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コメント

家康の豊臣文壇の戦略か・・・。
日本の政治家も見習って欲しい家康の外交手腕だ。

家康の大阪戦略、中国や韓国の嫌味ないやがらせじみていて・・何とこすいやり方だが、戦略としては効果的でしょうね。ヽ(*≧ε≦*)φ

国家安康、君臣豊楽への言いがかりですね。

国家安康、君臣豊楽への言いがかりですね。

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