生田春月の遺書
生田春月は、昭和5年5月19日夜、大阪発、別府行きの菫丸に乗船。深夜、瀬戸内海播磨灘で投身自殺、死体は小豆島坂手港に6月10日ごろ漂着した。まだ38歳であった。遺書は5通が残されている。内縁の妻花世夫人への遺書、当時の流行作家加藤武雄、アナキスト石川三四郎、第一書房の長谷川巳之吉、新潮社の中根駒十郎宛ての遺書である。ここでは花世夫人宛ての遺書を記す。
今、別府行の菫丸の船中にいる。今四五時間で僕の生命は断たれるだろうと思う。さっき試みに物を海に投じてみたら、驚くべき迅さで流れ去ってしまった。僕のこの肉体もあれと同じように流れ去るのだと思う。何となく爽快な気分がする。恐怖は殆ど感じない。発見されて救助される恥だけは恐ろしいが、(中略)僕は詩にもかいた通り、女性関係で死ぬのではない。それは付随的なことにすぎない。謂わば文学者としての終りを実らせんがために死ぬようなものだ。この上生きたら、どんな恥辱の中にくたばるか分からないのだ。それも然し、男らしい事かも知れないとは思う。だから、これが僕らしい最期で、僕としての完成なのだと思う。(中略)鳥取の自由社で、今、講演するとなると、いかに自分が破滅しなければならぬかを、即ち白きインテリの悲哀についてしか言えないのだ。鳥取の方に詫びてほしい。僕はあなたの悪い夫であった。どうかこれまでの僕の弱さを許してもらいたい。今にして、僕はやはりあなたを愛している事を知った。さらば幸福に。
五月十九日夜
春月生
生田花世様
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