ロカルノの女乞食
ドイツの劇作家ハインリヒ・フォン・クライスト(1777-1811)と聞いても、ご存知ないかもしれませんが、彼の作品は20世紀に入ってから評価が高まり、現代ではドイツを代表する劇作家の一人に数えられている。「ロカルノの女乞食」(1810)は、クライストの短編中、もっとも短い怪談である。
アルプスのふもと、北イタリアの町ロカルノの近くに古い城がありました。それはある侯爵の城で、ロカルノの北方、ザンクト・ゴットハルト峠のほうからくだってくると、今でも廃墟となったその城をながめることができます。この城には、天井の高い大きな部屋がいくつもありました。かつて、そうした部屋のひとつに、床にしいたわらに病気の体を横たえて、ひとりの老女がくらしていました。はじめ老女は城に物乞いにやってきただけだったのですが、侯爵の奥方がこの老女の身の上に同情して、部屋を貸し与えたのでした。ところで、侯爵は狩りから帰ってくると、いつもこの部屋にはいり、猟銃を肩からはずしてともの者に手渡すことにしていました。その日も、狩りをおえて、いつものようにこの部屋にはいってきた侯爵は、たまたま老女に気がつきました。そこで侯爵は老女に向かって、暖炉のうしろにうつるように不機嫌そうに命じました。老女は起き上がりましたが、磨き上げた床に松葉づえをすべらせてころび、ひどく腰をうってしまいました。それでも老女はなんとかし身をおこし、言われたとおり部屋を横切って、暖炉のうしろまでたどりついたのです。しかし、そこでうめき声をあげながらたおれ、そのまま息をひきとってしまいました。何年かたちました。そのあいだ、戦争や凶作がつづいたために、侯爵の財産もすっかりとぼしくなっていました。ちょうどそんなときのことでした。フィレンツェの騎士があらわれ、すばらしい場所にたつ侯爵の城を、売ってもらえないだろうかと申しでたのです。お金にこまっていた侯爵は、この申し出に心を動かされました。そこで、この騎士を城に泊めることにしました。しかし、騎士が案内されたのは、かつて老女が体を横たえていたあの部屋だったのです。ところが、真夜中になったころのことです。とりみだし、真っ青になった騎士が階段をかけおりると、侯爵夫妻のところへ飛びこんできました。そして、あの部屋には幽霊がでると言うのです。朝になり、騎士はその提案をことわり、そそくさと旅立っていきました。この出来事は多くの人々の関心を集めました。そのため乞食の幽霊がでるという噂が広がり、買い手がつかないのです。事実をたしかめようとした侯爵の耳に不気味な音が聞こえ、かれは狂って城に火をつけ、焼け死んでしまいました。侯爵の遺骨は、村人たちの手でひろい集められました。その真っ白な骨は、侯爵が女乞食に起き上がれと命令したあの部屋のすみに、今も安置されています。
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