独歩忌
国木田独歩は、明治34年、近代画報社に入り編集の仕事に携わったことから、明治39年8月24日、東京芝区桜田本郷町17番地に独歩社を起こし、「近事画報」「新古文林」「婦人画報」その他を同社からひきついで出版した。数冊の単行本、十種類余りの雑誌を刊行したが、「婦人画報」を除いて売れ行きはおもわしくなかった。独歩社の経営はうまくいかず、その後、経営は破綻し、後半生の生活は経済的にはめぐまれなかった。明治41年2月、肺を患って入院、療養の甲斐なく、6月23日、36歳で他界した。
しかし、独歩と同じ早稲田出身の鷹見久太郎(思水、1875-1945)、窪田空穂(1877-1967)らは独歩社の若手社員として編集出版の仕事を学んだ。のちに鷹見は東京社を創設し、「婦人画報」「少女画報」「コドモノクニ」などの出版で成功をおさめた。独歩が創刊した婦人総合雑誌が100周年を越えている。最初の妻である佐々城信子との離婚で女性に苦労した観のある独歩であるが、有名な婦人雑誌の生みの親であるというのも人生の妙味であろう。
« ドイツ農民戦争 | トップページ | 山本勘助の家紋 »
「日本文学」カテゴリの記事
- 何事も古き世のみぞ慕わしき(2013.03.10)
- 瀬戸内晴美「あふれるもの」(2009.05.06)
- 小林多喜二と志賀直哉(2018.02.20)
- 敦盛は生きていた?(2018.02.07)
- 青森歩兵第五連隊八甲田遭難始末記(2018.01.23)
コメント