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2016年6月30日 (木)

「風と共に去りぬ」題名の由来

Kaze9   1926年、マーガレット・ミッチェルは落馬による左足首を捻挫し、関節炎を起こし、回復に手間どったため、5月にアトランタ・ジャーナル社を退社。この頃からむさぼるように読書する。読書の範囲は広く、文学、歴史、医学、考古学、探偵小説等。一日8冊を読み上げるので、夫のジョン・ロバート・マーシュは毎日一抱えの本を持って市立図書館へ往復しなければならなかった。この年、夫のすすめに従い「風と共に去りぬ」を書き始める。執筆の動機は母の話がきっかけだった。少女時代、あまり学問が好きでなかったので、母はある日の午後アトランタの郊外へ彼女を伴い、南北戦争で荒廃したままの土地を見せて歩いた。戦争から多くの歳月が過ぎたそのころでも、この地方の土地や生活には戦禍のあとがまだなまなましく残っていた。母はあちこちの建物を指して、戦争と復興の苦難を乗り越える意力と能力のあった家と、うちつづく困苦を切りぬけるだけの力がなかったために没落していった家とを教えて、彼女の心に、あくまでも生きぬく力を喚起させ、そのためには学業がいかにゆるがせにならぬものかを説いてきかせた。そのときのことはのちのちまでも忘れられなかったという。その人たちの中には成功しようとして戦いぬいた人と、その戦いに雄々しくいどんで敗れた人と、やっと生きのびているだけの人とがあったわけで、これをテーマに小説を書こうと思ったのが、畢生の大作を生む動機となったのである。1933年、前後7年間にわたって断続的に書きつづけた「風と共に去りぬ」はほぼ脱稿した。1935年、マクミラン出版社の副社長ハロルド・S・レイサムは、ミッチェルが大作の草稿を筐底に秘めていることを知り、ぜひそれを見せるようにと懇願した。ミッチェルは気がすすまなかったが、ついに決心して原稿を副社長に見せることにした。マクミラン出版社がこれの刊行を決定したのは同年夏のことである。1936年6月30日、「風と共に去りぬ」はニューヨークのマクミラン出版社から刊行され、一年間で150万部を売りつくした。

   本の題名については、出版社側は「明日がある」(アナザー・デイ)を採用することを内定していたが、彼女はさまざまな題名を提案しつづけた。その一部をあげると、「苦難を荷え」「一里塚」「めえ、めえ、黒羊=無頼の嘆き」「いつかは日が開く」「無情の星」「ラッパの調べは切なし」

    最後の題名は、つぎのような南北戦争時代の戦歌からとったものである。「ラッパの調べは切なし、夜の雲低く垂れ、星が空にきらめくころ。兵士みな地に伏す。疲れしものは眠り、傷つきしものは死に」この題名そのものは、かなり彼女の気に入ったのだが、「ラッパの調べ」が彼女のいわんとするところを切実に物語るものとも思えなかった。しかし、それを契機として、何かほかの詩のなかに引用できる辞句があるのではないかという期待をもつようになり、それとなく気をつけていた。やがて10月の最後の週に、マーガレットは一冊の英詩集を開いて、アーネスト・ダウスンの詩「われはもはやシナラをともに愛せしころのわれにあらず」に、なにげなく目をやった。この題はホレースの頌詩からとったものである。マーガレットは以前からこの詩を愛していた。1900年に肺結核で短い数奇な生涯をとじた審美派の英詩人ダウスンの代表的叙事詩で、当時の若い世代の人々はこの詩の冒頭を読んだだけで、異常な感動にうたれたのであった。「前夜、ああ、昨夜、かの女とわが唇の間に、きみは影を落とした。シナラ!」そして、つぎの反復句がつづく。「われはわれなりに、きみにまことをささげてきた。シナラ!」やがてつぎの二行がマーガレットの目をとらえた。

「われは多くを忘れ去った。シナラよ!すべては風と共に去った。バラは、棘もろともあらあらしく吹き飛ばされた」 I have forgot much,Cynara!gone with the wind

「風と共に去った」 これこそ、まさに彼女が探していた言葉だった。(参考:フィニス・ファー「マーガレット・ミッチェル物語」河出書房)

( Margaret Mitchell,Ernest Dowson、アーネスト・ダウサン )

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コメント

中学生の頃に、何も知らずに友人と、近くの映画館で上映していて初めて見て強烈にスカーレットとレット・バトラーが心に残って、もう一度すぐに見に行き、原作も購入して読んだ、その後の映画好きのきっかけとなった生涯ベストワンの作品。題名の由来を知ることが出来て感謝です。しかも、メイキングの画像まで!

クラーク・ゲーブル、撮影の合間なのでしょうが、椅子に座ってるだけでサマになる。

写真も細かいところまで注意してみると面白いですね。銜えタバコで足を組んでリラックスしているゲーブル(38歳)にくらべ、ヴィヴィアン・リー(26歳)は監督から注意されているのか、少し緊張した様子ですね。

レット・バトラーのクラーク・ゲーブルと、アシュレー・ウィルクス役のレスリー・ハワードは1931年の映画「自由の魂」で一度共演している事を見つけました。

この衣装はどの場面なのかと調べました。レットとスカーレットがついに結婚して、新婚旅行で贅沢三昧をさせてもらって幸せいっぱいのはずのスカーレットが、時々見る悪い夢にうなされ、「タラに帰りたい」とレットにねだって久しぶりのタラに寄って、ゆったりと2人で散歩する場面ですね。映画ではほんの1〜2分のシーンですが、どのようなアドバイスを監督から受けてるのでしょう。知りたいけれども、もう叶わないですね。

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