従軍記者アーニー・パイル
1944年6月6日は、Dデー(攻撃開始日)、すなわち連合軍の「史上最大の作戦」によるフランスのノルマンディー上陸が開始された日として記憶されている。しかし、上陸の初日は、僅かな地域しか占領できず、全域を制圧するには20日を要した。作戦はおおむね成功したものの、犠牲となった者も多い。従軍記者アーネスト・テーラー・パイル(1900-1945)は、Dデイ艦隊に乗船し、部隊に続いてすぐに上陸した。そこで彼は爆撃を受けて負傷し、あやうく死からのがれられた。この際の記事で彼は1944年度のピューリッツア賞を受賞した。「アーニー・パイル もし、6月25日を頭の帽子に貼り付けていないならば、いますぐそこに付けるようご忠告申し上げたい。少なくともあなたの心の中には貼り込んでおきなさい。というのも、私には、1944年という年の6月25日が、この戦争の偉大な歴史的頂点の一つであろうという予感がするからである」 だがアーニー・パイルは9ヶ月後、1945年4月18日、沖縄の伊江島で日本兵に狙撃されて戦死した。終戦まであと4ヶ月だった。(参考:ジョン・ホーヘンバーク「ピューリッツア賞物語」 1970年)
« 勝者と敗者の美学 | トップページ | 忘れられた大スター »
「史上最大の作戦」「プライベートライアン」ノルマンディー上陸の映像は、どちらも胸に迫ります。
投稿: イクちゃん | 2014年6月 6日 (金) 21時44分