1568年アルバ公、エグモント伯を処刑する
アルバ公フェルナンド・アルバレス・デ・トレド(1508-1582)は1567年フェリペ2世よりネーデルラント総督に任ぜられ、恐怖政治をおこないオランダの独立戦争の端を開いたといわれる。
ネーデルラントは自治権をもった17の地方からなる連合体だったが、16世紀初めにカルロス2世がスペイン国王に即位するとともに、この地域を継承し統治を開始した。やがてカルロスは、新教を弾圧した。これに対し、エグモント伯(ラモラール・ファン・エフモント)やホールン伯(フィリップ・ド・モンモランシー)らは反スペイン同盟を結成。1564年に、絶大な権力を握っていた王の腹心グラン・ヴェル枢機卿を国外退却させ、スペインによる支配の緩和を王に求めた。しかし、フェリペ2世はこれを拒否すると、1566年に新教徒が聖像破壊行動を起こし、北ネーデルラントを中心に中小貴族や市民の反乱が広がった。1567年7月、アルバ公が率いる軍隊がネーデルラントに進入した。彼は反乱の指導者を「血の法廷」にかけて、多数の貴族や市民を処刑した。1568年6月5日、エグモント伯(45歳)もブリュッセルで処刑された。(Lamoraal Greaf van Egmont)
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コメント
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この記事に興味を持って、そのままオランダの歴史を、ざっくりとですが調べました。ずいぶんと独立するまでにスペインやイギリス、第二次大戦の時にはドイツなど、さまざまな他国との支配や戦争があっての現在なのですね。
第二次大戦終結後は、日本軍人が裁かれ処刑されたという事実も。江戸時代には鎖国日本の交易国でもあったのに。戦争は嫌ですね。
投稿: | 2015年6月 5日 (金) 12時51分