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2016年5月16日 (月)

膳所藩将軍暗殺事件の謎

Sc15137a川瀬太宰宅跡碑

   膳所藩は近江国大津周辺に位置した6万石を領する譜代藩であった。禁裏御所方火消しを任務とすることから、朝廷を守護する意識が強く、藩内には川瀬太宰(1819-1868)を中心とする尊攘派の勢力が強かった。

   慶応元年5月、第14代将軍徳川家茂が上洛することになった。老中水野忠精から、将軍の膳所泊城が藩主本多康穣に言い渡された。5月16日、予定どおり江戸を進発した家茂は、東海道を西行し、近江愛知川宿に到着したが、そのとき突然、以後の将軍の宿泊予定が変更され、膳所泊城の中止、大津宿への宿泊が発表された。ちなみにこの日程変更の5日前、膳所藩では尊攘派の一斉検挙が行われており、それらが重なって、将軍暗殺の噂が流布していた。このとき検挙された尊攘派は数十名にのぼったが、当時の記録は少なく真相はいまもって不明である。逮捕より5ヵ月後の慶応元年10月、逮捕者の内11名が死罪に処せられた。首謀者とみられる川瀬太宰(膳所藩家老戸田資能の子)は雲母越えで捕らわれ、慶応2年6月、京都六角獄舎において斬首された。妻の幸は、大津の尾花川の居宅で新撰組に襲われ、匕首で喉を刺して自害を図った。一命はとりとめたが、後に自ら食を断ち、夫の跡を追った。膳所藩の将軍暗殺計画は家老たち藩内保守派たちによる捏造事件であるのか真相は闇のままである。

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コメント

はじめまして。安昌寺には斬首された膳所十一烈士の墓があります。その姓名を教えて下さい。

大津市の安昌寺、岡山墓地に11名の墓があります。
保田正経(やすだまさつね)、阿閉信足(あとじのぶたる)、槇島光明(まきしまみつあき)、田河武整(たがわたけただ)、高橋正功(たかはしまさかつ)、高橋幸祐(たかはしゆきすけ)、森祐信(もりすけのぶ)、関敏樹(せきとしき)、深栖当道(ふかすまさみち)、増田正房(ますだまさふさ)、渡辺緝(わたなべあつむ)

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