なぜ「江戸の敵を長崎で討つ」のか?
「江戸の敵を長崎で討つ」という諺がある。意味は、「意外な所で、また筋違いのことで、昔のうらみをはらす」こと。では、江戸の敵をどうして長崎で討つのか。なぜ長崎なのか。元来、この諺は商売上の競り合いから生まれたものらしい。もとの形は「江戸の敵を長崎が討つ」であったといわれている。1812年、大坂の一田正七郎という籠職人が、「三国志」の関羽などの人形を製作した。彼は江戸の浅草で小屋を建て、この人形を見世物にして、大成功を収めた。そこで江戸の亀井斎なる籠職人もまねをして商売を始めたが、客はなかなか集まらなかった。これとほとんど時を同じくして長崎の商人がギヤマン細工の見世物を始めたが、大坂を凌ぐ人気となった。つまり江戸を負かした大坂を、今度は長崎が負かしたわけである。江戸の人々にとっては、大坂に負けた恨みを長崎が晴らしてくれたようなもの。そこから「江戸の敵を長崎が討つ」という表現が生まれた。ところがやがて、その表現の由来は忘れられ、いつのまにか「長崎が」という語句が「長崎で」になってしまったと考えられている。
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