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2016年5月13日 (金)

明治期牛疫流行と蠣崎予防液

    牛疫とはウィルスによって起こる牛の伝染病で、世界的に牛に最大の損害を与える病気である。これにかかると牛は発熱はもちろん下痢が強く、下痢便にぬかを混入したような消化器粘膜の死滅片が排出され、口粘膜にも牛疫爛斑と称する欠損部ができ、牛の唇の裏側に乳嘴突起が脱落する。

    日本では江戸時代から牛疫の流行に悩まされたが、明治になって安価な朝鮮牛を輸入するようになり、再び牛疫が流行して大害を受けた。明治24年と明治25年に大流行し、朝鮮牛の輸入を禁止した。明治27年、大阪で牛疫が再発し、これより以降、港湾検疫が始まるようになった。明治29年には獣疫予防法が発布された。これを防ぐため、日本で考案されたのが蠣崎予防液である。蠣崎千晴は明治3年5月13日、仙台に生まれ、東京大学農科大学医学部を卒業して農商務省などを勤務し、大正7年から朝鮮総督府獣疫血清製造所の所長として活躍し、朝鮮における家畜の病気の撲滅に貢献した。蠣崎予防液は驚くべき効果を示し、昭和5年第1回十大発明家の一人として選ばれた。このように日本および朝鮮の牧畜を救った偉人であるが、何故か晩年について詳しいことがわからない。広辞苑やコンサイス人名辞典にもその名は収録されていない。ちなみに昭和5年の政府から表彰を贈られた他の9人の発明家は次の人たち。みな著名人として今日でも知られているのに蠣崎千晴について評価されていないのは謎である。

   本多光太郎(1870-1954)KS鋼・新KS鋼、鈴木梅太郎(1874-1943)ビタミンB1・ビタミンA、御木本幸吉(858-1954)養殖真珠、杉本京太(1882-1972)邦文タイプライター、山本忠興(1881-1951)テレビジョン、密田良太郎(水銀避雷器)、島津源蔵(1869-1951)蓄電池、田熊常吉(1872-1953)ボイラー、丹羽保次郎(1893-1975)NE式写真電送機。

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