ビアフラ飢餓
1967年のこの日、ナイジェリアの東部州が「ビアフラ共和国」として独立を宣言した。だが1968年5月18日、ナイジェリア連邦政府がビアフラ唯一の港町ポートへーコートを制圧しビアフラは降伏した。ビアフラは外部からの補給を受けられなくなり、飢餓状態となる。ナイジェリアでは、イボ族への反感から、1966年7月、イボ族3万5000人が殺害された。このためイボ族が故郷の東部州に逃げ帰り、1967年5月30日、ビアフラ共和国として独立を宣言。連邦政府軍と戦闘状態に入っていた。ビアフラは、1970年1月11日まで抵抗を続け、150万人にのぼる餓死者がでた。現在、ナイジェリアでは、ビアフラの地名は使われなくなり、ビアフラ湾もボニー湾と呼ばれている。
« なぜヨシノブと名で呼ばれるのか | トップページ | ツルチック »
「地理」カテゴリの記事
- 衣浦臨海鉄道(2024.07.15)
- 磐越線(2024.07.10)
- 山の高さはどのようにして測るのか?(2024.05.12)
- 道の駅(2024.05.05)
- 消滅可能性自治体(2024.06.05)
コメント