藤原真楯
藤原真楯(715-766)は聖武天皇時代の官僚。学問を好み、山上憶良らと親交があった。同時代の有力者は藤原仲麻呂(706-764)であったが道鏡によって排斥される。真楯から後年藤原氏で最も繁栄する道長の時代まで直系で8代である。すなわち、
真楯の子、内麿
孫、冬嗣
曾孫、良房
玄孫、基経
来孫、忠平
昆孫、師輔
仍孫、兼家
雲孫、道長
直系親族8代目を「雲孫」という。なお雲孫より先はなく、「雲孫以下」と呼ぶ。
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