ジョン・F・ケネディの生い立ち
ジョン・フィッツジェラルド・ケネディ(1917-1963)は、ケネディ家の次男として1917年5月29日、ボストン郊外ブルックラインで生まれた。両親ともカトリック系アイルランド移民の後裔で、母は元ボストン市長の娘ローズ、父ジョゼフは実業家だった。株や不動産の取引で資金を増やし、禁酒法時代には薬用酒と称してウイスキーを輸入するなど、儲けるためには手段を選ばない野心家だった。
ジョン・F・ケネディの出自を語るとき、そこにはつねに「アイルランド系アメリカ人」という表現がついてまわる。1620年、メーフラワー号に乗ったイギリス清教徒たちによって、移民の国、アメリカの歴史が始まったが、アイルランド移民が大幅に増えたのは19世紀中頃になってからのことである。1845年、アイルランドでは主食であるジャガイモに原因不明の病害が蔓延し、10年間に100万人もの餓死者が出た。このため多くの人々が故国を捨てて、アメリカを目指した。
その4年後の1849年、「最初のアメリカのケネディ」、パトリック・ケネディがボストンに上陸する。アイルランドでも裕福な農家の三男であった彼は、飢えから逃れるというよりは、新天地での成功という野心を抱いてアメリカにやってきた。しかし当時のアメリカはあとからやってきた貧しいカトリック教徒のアイルランド移民に対して冷たかった。街には「アイルランド人お断り」の看板が出現し、仕事の口もままならなかった。パトリックはやがてウイスキーの樽づくりを始めるが、ボストンに来てわずか9年で貧困のうちに他界する。しかしその長男でジャックの祖父にあたるパトリック・ジョゼフ・ケネディは、政治の世界で頭角をあらわし、1886年には州議会議員に当選。酒類の輸入業も成功し、ボストンのアイルランド系社会にケネディ家の名を築いていったのである。
ジャックの母ローズの祖先「フィッツジェラルド家」はケネディ家より2年先にアメリカに渡った。両家はボストンで成功した4つのアイルランド人一家に数えられている。
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