実篤の色紙に添えられた言葉
本日は1885年、武者小路実篤の誕生日。薬師丸ひろ子の歌に「天に星、地に花」(作詞・松本隆、作曲・筒美京平)がある。NTTのCMに使用された「あなたを・もっと・知りたくて」がヒツトしていた頃である。歌詞には「優しい人が言いました。いま天に星、地には花、君に愛を」というサビのフレーズが印象的であった。この言葉はオリジナルではなく、どうやら武者小路実篤がルーツであることを知ったのは最近のことである。昭和40年頃から実篤の人生論の図書や色紙の複製品などが広く世の中に出回っていた。「仲良き事は美しき哉」「この道より我を生かす道なし。この道を歩く」こういう色紙に見覚えある人は多いだろう。「天に星、地には花、君に愛を」という色紙は見たことはない。芳賀書店から出版していた「実篤人生論シリーズ」(昭和42年頃)は第6集まで刊行されたが、その第3集のタイトルが「天に星地に花人に愛」である。現物を見ていないが、同タイトルの詩があるのかも知れない。二見書房から刊行された「愛ただひとつの言葉」(昭和44年)のタイトルページには「天に星地に花人に愛」という画と画賛が掲載されていた。松本隆は実篤をパクったのだろうか。それとも武者小路実篤というあまりにも有名な人の言葉ということで、文化的な共有財産ということで容認されるのであろうか。そのような著作権上のことはおいておくとして、実篤は40歳頃にあたる大正末年頃から絵筆をとり始め、昭和51年に90歳で亡くなる直前まで書画の制作を続けていた。色紙に添えられた言葉を画賛というが、その数もかなりなものになるだろう。幾つか印象に残った言葉を取り上げる。(5月12日)
思い切って咲くもの萬歳(向日葵、昭和43年)
何故に我が花咲くか知らねども我は素直に我が花咲かす(木蓮)
勉強勉強勉強のみよく奇跡を生むかく思ひつつ我は勉強する也(勉強勉強 昭和12年)
我ただ天意に従って生長す(樹木図 昭和10年代)
生まれけり死ぬる迄は生くる也(自画像 昭和15-25年)
我水を愛し又沈黙を愛す(「鯉之図 昭和34年)
わが行く道に茨多し。されど生命の道は一つ。この道より我の生きる道なし。この道を歩く(この道 昭和35-40年)
この世に美しき物あるは我等の喜び(この世に美しき物 昭和47年)
一滴の水 書になり画になる よく生かしたし(昭和42年)
花ありて人生楽し
共に咲く喜び
君は君 我は我也 されど仲よき
和而不同
美愛眞
石を愛せ草を愛せ喜びその内にあり
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星と花は、いつごろから対句的に使われたのでしょうか。土井晩翠の詩にも「星と花」というのがありますね。第一連だけを書き写すと、
同じ「自然」のおん母の
御手にそだちし姉と妹(いも)、
み空の花を星といひ
わが世の星を花といふ。
星と花は、フルートとハープのような相性があるような。。。。
投稿: かぐら川 | 2007年7月21日 (土) 00時05分
天に星… は、ゲーテがオリジナルですよ。
武者小路実篤以外にも、高山樗牛なんかが翻訳版のフレーズを残しています。
投稿: | 2007年9月 7日 (金) 16時08分