田中館愛橘
本日は「ローマ字の日」。ローマ字国字論を唱えた田中館愛橘の命日に因む(本当は21日が命日)。ローマ字の表記にはヘボン式と訓令式の2種類がある。パスポートの場合、ヘボン式を推奨している。shi(シ)、chi(チ)、tsu(ツ)
田中館愛橘(1856-1952)は、安政3年9月、陸奥国二戸郡福岡町(現:岩手県二戸市)に生れた。明治5年に盛岡の照井小作塾に入り、その後、慶応英語学校などを経て、明治11年に東京大学理学部に入学してメンデンホール、ユーイングの指導をうける。明治13年にはメンデンホールに従って東京と富士山頂の重力測定を行ない、その後、明治20年まで日本各地や朝鮮半島で重力測定を実施していった。明治21年にイギリスに渡ってグラスゴー大学で学び、さらに明治23年にはベルリン大学に移って研究を重ね、明治24年に帰国した。
帰国後、帝国大学教授となったが、その年の10月28日早朝に濃尾大地震が発生した。この地震の被害は建物被害全壊14万2千戸、半壊1万8千戸、死者7,273人に達した。現地には田中館をはじめ、大森房吉(1868-1923)、今村明恒(1870-1948)、小藤文次郎(1856-1935)、長岡半太郎(1865-1950)、巨智部忠承(1854-1944)、そしてミルンらが調査にあたった。田中館はこの地震に際して地磁気観測で根尾谷断層を発見して、その後の地震研究に貢献した。明治25年には、震災予防調査会委員となって、地磁気観測を行ない、明治27年に万国測地学協会委員となり世界各国の国際会議に多数出席し、重力、地磁気、地震などわが国の地球電磁気学の発展に貢献した。(5月20日)
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