並木宗輔作「苅萱桑門筑紫のいえずと」
いまから450年ばかり前のことである。九州の筑紫に、加藤左衛門繁氏という大名がいた。もとは平家方の大将だったが、平家が戦いに敗れた後、源氏に降り、源頼朝に仕えた。繁氏には千里姫という美しい側室がおり、世継ぎとして生れたのが石童丸だった。これが正室の妬みをかい、ある夜、千里姫の身の危険を感じて身代わりとして寝ていた侍女が、とうとう刃で刺されてしまった。繁氏はこのような醜い妻と妾の諍いをみて世の無常を感じ、ある夜、城を捨て、行方知れずとなってしまった。繁氏は出家して、刈萱道心と号して、高野山に登った。そして隣の大名である大内義弘が加藤の領地を奪ってしまう。息子の石童丸は成長すると父を慕う気持ちが強くなり、母とともに父親探しの旅にでる。旅の途中に出会った僧侶から父親らしい僧が高野山に居ると聞く。高野山は女人禁制、母を麓の宿において1人で山に登り、偶然父親である等阿法師苅萱道心に出会う。苅萱は引き寄せて、抱きしめて、ほんとうのことをいってしまおうかと心は乱れたが、「いや、まて!高野山へ登ったときから、ふたたび妻や子には会わないと、御仏に約束したじぶんではないか!」きびしい山のおきてと、仏への誓いを思い出し、あなたが尋ねる人はすでに死んだのですと偽りをいう。実の父親に会っていながらそれと知らずに戻った石童丸に不幸がさらにおそった。母親は長旅の疲れが原因ですでに他界していた。頼る身内を失った石童丸はふたたび高野山に登り、父親である刈萱道心の弟子となり、互いに親子の名乗りをすることなく仏に仕えることとなった。嘆き悲しむ石堂丸にも、不幸ばかりは続かなかった。やがて、にくい敵の大内義弘を滅ぼして、晴れて筑紫へ帰る日が、待っていたのである。苅萱道心は、高野山に残って、日夜仏道に励んだおかげでのちには、りっぱな僧となり、多くの人から尊敬されたと伝えられる。
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