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2016年5月30日 (月)

葛城襲津彦

  韓国の女性には美人が多い。なかでも慶尚北道の大邱(テグ)は美人が多いといわれる街である。大邱から約60㎞離れたところにある慶州はかつての新羅の都があったところである。この話は神功皇后の三韓征伐の時代で、古代朝鮮の話であるがやはり韓国美人が登場する。

   葛城襲津彦(はかつらぎのそつひこ)は武内宿禰の子とも伝えられ、「日本書紀」に登場するが、「百済記」にも伝えるところから、だいたい4世紀後半から5世紀前半の実在の人物と考えられる。朝鮮半島の戦いで数々の武勲をあげた将軍だった。応神天皇のとき、新羅が朝貢を怠ったので、葛城襲津彦は新羅へ討伐に向かう。すると新羅は美女2人を送り、襲津彦を誘惑させた。襲津彦は美女に籠絡されて、その言うことに従い、新羅を討たず、加羅国を討った。加羅国王や多くの難民らは百済に亡命した。加羅国王の妹、既殿至(けでんち)ははるばる大和を訪れて、応神天皇に苦境を訴えた。天皇は大いに怒り、新たに援軍を派遣して加羅を回復させ、国の復興を助けた。襲津彦は密かに日本に舞い戻り、身を隠していたが、天皇の怒りが消えないのを知って自害する。

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