野口雨情のペンネーム
野口雨情は明治15年5月29日、茨城県北茨城市に生まれた。本名は野口英吉。一時、詩作をはなれ北海道へ渡る。石川啄木とわずか1か月であったが、新聞記者として交友を深めた。借金がかさみ、芸者と情死をこころみ、啄木が追悼文を書いたという逸話が残っている。大正中期に興った児童文学運動に参加し、童謡「十五夜お月さん」「七つの子」「赤い靴」「青い眼の人形」「シャボン玉」、民謡「船頭小唄」「波浮の港」などで有名になる。昭和歌謡への流れを作った。
雨情は20歳ころから、雑誌に俳句や詩の投稿をはじめ、烏城、勿南、蚊骨、烏蝶、草中木治、芋杖などという筆名を用いた。また北海道時代は、北鳴家人、北洞野客など、「北」のつく筆名を多用したことがある。「雨情」の号を用いたのは明治35年7月の「労働世界」に発表した「村の平和」「茄子の花」の2篇である。この号に関して雨情自身は「少年のころでしたが、まぎらわしくない号をつけようと支那の古い本をあさって、雲恨雨情といふ詩語からとりました。この本には雨情とは春雨の降る意だと注釈がついていました。それ以来、30年ほど用ひています」(私の雅号の由来変名の由来」と書いている。
参考:金子未佳「野口雨情の筆名の変遷について」解釈45(1.2)1999.1。
« 雨の日の読書 | トップページ | ジョン・F・ケネディの生い立ち »
コメント