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2016年5月19日 (木)

天皇プラカード事件

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戦後の全国巡幸は現人神から象徴天皇へ変身するためパフォーマンスだった

   松島松太郎(1915-2001)は、大正4年、東京芝高輪で唐木職人の父・末吉、母・いねの次男として生れた。昭和5年、高等小学校を卒業して日本銀行に給仕として就職し、同時に大倉商業学校の定時制に入学した。在学中に、のちの理論社などの出版業を営む小宮山量平と左翼グループを結成した。昭和16年、東京三田の田中精機株式会社に総務課長扱いで就職した。敗戦をへて、昭和20年11月初旬、日本共産党に入党し、同時に田中精機に労働組合を結成して委員長に就任した。翌21年1月、春日正一(1907-1995)らと連絡をとりながら、日本共産党の組織づくりを指導した。昭和21年5月19日、皇居前広場で開かれた食糧メーデーにおける「天皇プラカード事件」で検挙される。この年は都市には失業者があふれ、物価は高騰し、食糧は不足していた。食糧メーデーで松島はプラカードの表に「詔書 国体はゴジされたぞ、朕はタラフク食ってるぞ、ナンジ人民飢えて死ね、ギョメイギョジ」、裏に「働いても働いても、何故私たちは飢えているのか、天皇ヒロヒトよ答えよ」と書いた。事件は社会的波紋を呼び、裁判所では弁護側が「不敬罪の存続は天皇制批判の自由を圧迫するものだ。天皇を国民的象徴とする改正憲法は不敬罪を以て国民に天皇を尊敬せしむるという根拠をさえ失っている」と反論するなど、そのゆくえが注目された。結局、昭和21年11月2日、「ポツダム宣言を受諾し降伏文書に調印した後においては、従来の天皇の特殊的地位は完全に変革し、その時以後これまで法的に認め難かったところの天皇の個人性を認めるに至った結果、かかる天皇の一身に対する誹謗、侮蔑などにわたる行為については不敬罪をもって問擬すべき限りでなく、名誉に対する罪条をもってのぞむを相当とする」として名誉毀損による懲役8ヵ月の有罪判決が言い渡される。一審有罪の後、弁護側は「親告罪である名誉毀損が、天皇の告訴なしになぜ成立するのか」という理由で控訴したが、二審(昭和22年6月28日判決)では「不敬罪だが大赦で免訴」となり、三審(昭和23年5月26日大法廷判決)では「大赦で審議できず」となった。松島松太郎は、のち党活動指導部の全国オルグを務め、昭和25年以降は神奈川県川崎に転居し、日本共産党の専従として活動した。昭和35年の安保闘争では神奈川県民会議の代表幹事として運動を指導した。昭和48年11月中央委員に就任。のち中央党学校(静岡県伊豆)の主事を務めた。平成13年8月9日、胃がんにより死去。享年85歳。

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コメント

我が国の序列体制の美しさは、教育勅語の中で語られている。

我が臣民は忠と孝の道をもって万民が心を一つにし、世々にわたってその美をなしていきましたが、これこそわが国体の誉れであり、教育の根源もまたその中にあります。
(我カ臣民克ク忠ニ克孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス: ワがシンミン ヨくチュウに ヨくコウに オクチョウココロをイツにして ヨヨソのビをナせるは コれワがコクタイのセイカにして キョウイクのエンゲン マタジツにココにソンす )


忠:  主君に専心つくそうとするまごころ。
孝:  よく父母に仕える。父母を大切にする。
国体:  主権のありかたにより区別される国家の形態


http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
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