啄木の大衆性
船に酔ひてやさしくなれる
いもうとの眼見ゆ
津軽の海を思へば
石川啄木(1886-1913)が妻子を盛岡に、老母を渋民に残し、妹の光子と津軽海峡を越えたのは、明治40年5月4日であった。その時の心境を啄木は日記に記している。
「夜九時半頃青森に着き、ただちに陸奥丸に乗り込みぬ。夜は深く、青森市の電燈のみ眠た気に花めきて、海黒し」
新しい運命を切り開くべく、北海道・函館の地を踏んだのは、翌日の5月5日であった。
啄木の歌の特徴を挙げるとすれば、先ず第一にその庶民性、大衆性であろう。歌はいずれも平明であり、その点が広く大衆性を受け入れられ、日本近代文学史上、最も有名な国民詩人といわれるゆえんであろう。
東海の小島の磯の白砂に
われ泣きぬれて
蟹とたわむる
啄木は北海道に渡って函館、札幌、小樽、釧路と漂白生活を送ったが、明治41年の春、上京して小説家を志すが、その小説が売れないために悩み多い日々を送っていた。啄木「東海の歌」は『一握の砂』巻頭の歌で、啄木の作品中最も有名なものである。
頬につたふ
なみだにごわず
一握の砂を示しし人を忘れず
*
砂山の砂に腹這ひ
初恋の
いたみを遠くおもひ出づる日
*
いたく錆びしピストル出でぬ
砂山の
砂を指もて堀りてありしに
こうして啄木の歌を並べて見ると、津軽海峡、函館、小樽、釧路など流行歌の舞台となる所が多い。石原裕次郎の「錆びたナイフ」(萩原四郎・作詞)がある。
砂山の砂を 指で掘ってたら
まっかに錆びた
ジャックナイフが出て来たよ
どこのどいつが 埋めたか
胸にじんとくる 小島の秋だ
この歌謡曲を聞く一般大衆の胸中に漂白の悲しみが沸き起こるのは、たぶん啄木の愛唱歌を想起するからではないだろうか。
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