無料ブログはココログ

« 神尾春央(かんお はるひで)の年貢増徴策 | トップページ | 浜松第一中学校大福餅事件 »

2016年5月10日 (火)

シパーヒー決起、インド大反乱

210pxbattle_of_vienna_sipahis    1859年5月10日夕刻、北インドのメーラト駐屯地で、イギリス東インド会社傭兵であるシパーヒー(セポイ)が反乱を起こした。反乱は、この年より配付された新式のエシフィールド銃の使用を拒否し禁固刑となったメーラトの第3軽騎兵連隊の85名のシパーヒー釈放を要求して始まった。新式銃の弾薬筒には、ヒンドゥー教徒の神聖視する牛の脂とムスリムの不浄視する豚の脂とが塗られていた。これを装填時に噛み切るために口にすることは、回教徒とも宗教的禁忌だった。シパーヒーは、1757年6月23日のプラッシーの戦い以来用いられ、反乱直前には23万人にも膨れ上がっていた。そのうち13万人を擁したベンガルのシパーヒーには、アウド王国出身で南カーストの者が多くいたが、賃金や階級は低く、国外出兵を強制されるため不満を抱いていた。反乱軍はその日のうちにデリーに進撃し、翌日には、すでに年金受領者となり名目的存在でしかなかったムガール皇帝ハバードゥル・シャー2世を擁立し、皇帝復権宣言をさせる。この時点から反乱は、ムガル帝国対大英帝国の戦いの様相を呈する。北インドの各地でこれに呼応する反乱が続く。失権の原則により実子のないことで所領を没収されたマラーター王国のペーシュワー(宰相)の子孫ナーナー・サーヒブが6月4日にカーンプルで、また同じくイギリスに併合されていた藩王国ジャーンシーの王妃ラクシュミーバーイーが6日に立ち上がる。30日にはラクナウでも反乱が起こる。イギリスのインド支配そのものに対して不満を抱く、市民や農民にも反乱に参加する者が現れ、反乱は都市から、やがて農村へと広がる。地域的にも北インド全体へと拡大し、あらゆる階層の人々を含む民族的な大反乱となる。(sipahi)

« 神尾春央(かんお はるひで)の年貢増徴策 | トップページ | 浜松第一中学校大福餅事件 »

今日は何の日」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 神尾春央(かんお はるひで)の年貢増徴策 | トップページ | 浜松第一中学校大福餅事件 »

最近のトラックバック

2017年3月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31