2代目は凡庸
「江~姫たちの戦国」は徳川秀忠、豊臣秀頼、真田幸村・・・・。初代が築いた家財産を2代目、3代目がどのように発展させるのかに見所があった。秀忠は温和でがまん強い性格だが凡庸であった。加藤清正の嫡男・広忠も凡庸な人物らしく、肥後一国を没収され出羽庄内の酒井忠勝に預けられ、子の光正は飛騨高山に流された。光正は法華寺(岐阜県高山市)の墓に眠っている。秀忠、家光の時代、改易大名も多い。安芸広島の福島正則は改易、子の正利は旗本に落とされた。出羽山形の最上氏も義光の孫の義俊のとき改易となる。
孔子の長男は孔鯉(前532-前481)。字は伯魚。前510年に結婚し、子どもももうけているが、孔子より先に亡くなっている。愚息ではないものの凡庸な感じがする。本居宣長の長男、春庭は失明するが立派な国学者であった。ソクラテスにも3人の息子がいた。ソクラテスが死刑になったとき、長男ランプロクレスLamproclesは青年であり、下の2人ソフロニコスSophroniscus、メネクセノスMenexenusはまだ小さな子どもだったが、後世とくに名を残すほどの業績はなく、「愚かで退屈(silly and dull)」の評である。ナポレオンといえば、一世も三世も世界史に大きな足跡を残した皇帝であるが、そのあいだにはさまれる二世のこととなると、知っている人は少ない。
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売り家と唐様で書く三代目
投稿: 3代目 | 2011年10月24日 (月) 21時58分