ナポレオンを救出せよ
コロンブスの西インド発見以後、アメリカ南部の探検に着手したのは、最初スペイン人だった。その後、この地方は手つかずで放置されていたが、17世紀になってフランス人が北方大湖地方からミシシッピーを下ってやって来た。1681年、フランス人探険家ラ・サールはミシシッピー川を囲む土地をフランス国王にちなんで「ルイジアナ」と名づけた。1732年、ルイジアナはフランスの州となった。アメリカ独立戦争が勃発するや、フランスとスペインは革命軍を援助しイギリスと戦った。
1803年4月30日、ナポレオンはルイジアナと西フロリダをアメリカ大統領ジェファーソンに1500万ドルで譲渡した。ルイジアナがアメリカの州に正式に編入されたのは、それから9年後の1812年4月30日のことであった。その頃ニューオーリンズは州の首府であった。これより先、ナポレオンはイギリスに宣戦したため、ニューオーリンズはイギリス軍の侵略の標的になった。アンドリュー・ジャクソン将軍はイギリスの将軍サー・エドワード・パケナムの軍を破り、侵略を防いだ。このような諸事情からニューオーリンズではナポレオンの人気は高かった。ところが、ナポレオンがイギリスに敗れセントヘレナ島に流刑されることになると、密かにナポレオンをセラフィン号で救出し、ニューオーリンズに連れてこようとする作戦が企てられた。実際には、ナポレオンは1821年に孤島で死んでしまい、この作戦は頓挫した。ニューオーリンズ市長ニコラス・ジローが家を建て家具を整えて皇帝を迎える用意をしていたという邸宅が「ナポレオン・ハウス」として現在も残っている。
「ナポレオンを救出せよ!」という奇抜な話を映画や小説にしたらさぞかし面白いだろうと思ったら過去にあった。サイレント映画でフローレンス・ヴィダー(1895-1977)主演映画「海の荒鷲」(フランク・ロイド監督、1926年)。( Florence Vidor )
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