日本語の中の仏教用語
平成8年、京都の仏教大学が新図書館の建設にあわせて正門周辺の改修工事をした際、彫刻家・空充秋に門柱を依頼した。完成した門柱の側面には「平成之大馬鹿門」という字が刻まれていた。大学側はこれを問題視して、「馬鹿という言葉は大学には不適切」として字の削除を要求したが、話し合いは決裂し、結局、モニュメントは兵庫県宍粟市に移設されることとなった。このいわゆる「平成の大馬鹿門騒動」から20年が経過するが、日本人は好むと好まざるにかかわらず、あまりに言葉に執着しすぎるきらいがあるようである。騒動の元になる「馬鹿」という言葉の由来はサンスクリット語にあるといわれる。仏教大学の関係者がこれを知らない筈はないのだが摩訶不思議である。梵語「モーハ moha」の写音で、「事理に暗いこと」「暗愚」を意味する。漢訳では一般に「癡」とか「愚癡」とか訳されるが、「慕可(ぼうか)」が「馬鹿」の字にあてられたとする説もある。このように今日的意味からすれば、「馬鹿」の意味が異なるものであり、その跡を学究的に深く追求することが学問であり、翻って思うに「平成之大馬鹿門」という言葉はたいへん示唆に富むものではないかと考える。
ところで、周知のように、日本語の中には仏教は翻訳という手段を通じて、インドから中国に受容されたのち、中国文化の一環として、わが国に渡来したものである。従って、日本語の中には多数の仏教用語が存在する。日本語の中にのこされた仏教的な語彙はわれわれは今日気づかずに用いている語が多くある。「アバタもえくぼ」元来は梵語で「腫傷」を意味するアルブタarbudaの俗語形アッブダ abbudaに由来する。「瓦」梵語カパーラ kapala(迦波羅)に由来し、原語は「皿」または「鉢」、さらに「骸骨」の意に由来する。このほか仏教用語に由来する語彙として、「奈落」「卒塔婆」「韋駄天」「境内」「涅槃」「娑婆」「菩薩」「鳥居」「荼毘」「沙門」「伽藍」「舎利」「錦」「玄関」「旦那」「達磨」「比丘」「夜叉」「羅刹」「修羅」「閻魔」「梅檀(せんだん)」「羅漢」「輪廻」など枚挙に遑ない。(参考:岩本裕「日本語における仏教語」アジア文化第11巻第2号 1974年)
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