なぜ三人組はヒットするのか
私たちの意識の底に、壮大な文明交流の歴史が隠されている場合がある。 「石の上にも三年」「仏の顔も三度」「三日坊主」と、三がつく言葉はよく耳にする。遠い昔、中国では三という数字は「天、地、人」をあらわしていた。つまりこの世のすべてを表わす数字であった。このように三には特別な意味があったから、数々の言葉が生まれたのである。「三宝」や結婚式の「三三九度」のように3の倍数が「おめでたい数」という起源は、実は中国ではなく古代インドの文化であるといわれる。「仏典」を通じて、インド人の価値意識が知らないうちに日本人の文化に取り入れられていたのである。
テレビ草創期、「お笑い三人組」というNHKの長寿番組があった。(昭和31年~41年)。三遊亭小金馬、一竜斎貞鳳、江戸屋猫八の三人が主役の下町喜劇。「お笑い三人組」という言葉はしっくりと決まるが、これが「お笑い四人組」だと何故かおさまりが悪い感じがする。3人だと、ボケ、ツッコミ、残る1人がオサメル、ナダメルでクッションとしての役割をはたすので自然にバランスがとれるという説がある。トリオはまさに黄金比率なのだ。
同じころ外国テレビで「三バカ大将」という伝説の番組があった。リアルタイムで見た本当に幸せな世代だ。「ウッヒハ ヘンチクリン ヘンチクリン ドンスカドン ラリーだ モーだ カーリーだ」という主題歌で始まるドタバタ喜劇。ラリー・ハワード(1895-1975、オカッパ)、ラリー・ファイン(1902-1975、途中まで禿あがっている)、カーリー・ハワード(1895-1955、丸坊主)。カーリーが死んで、途中からジョー・デリータに変わった。
昭和30年代、トリオ漫才の全盛期だった。かしまし娘(庄司歌江、照枝、花江)の「うちら陽気なかしまし娘、誰が言ったか知らないが、女三人寄ったら、かしましいとは愉快だね」という明るい歌声がラヂオから聞えたのは昭和32年のことだった。フラワーショウ(ぼたん、ばら、あやめ、昭和36年結成)、ちゃっきり娘(昭和39年結成)、ジョウサンズなど関西では女性の音曲トリオ漫才も華やかだった。
テレビが一般家庭にも普及しだしたころ、脱線トリオ(由利徹、南利明、八波むと志)が爆発的人気者だった。脱線に対抗して、転覆ということで「てんぷくトリオ」(三波伸介、戸塚睦夫、伊東四朗)、「トリオ・ザ・パンチ」(内藤陳、井波健、栗実)、「ナンセンス・トリオ」(江口章、岸野猛、前田隣)、「トリオスカイライン」(小島三児、原田健二、東八郎)など続々誕生した。関西でも「漫画トリオ」(横山ノック、フック、パンチ)、「タイヘイトリオ」(夢路、糸路、洋児)、「宮川左近ショー」、「レッゴー三匹」(正児、じゅん、長作)などトリオ漫才は盛んであった。
映画界でトリオの黄金比率を発見した監督といえば、東宝の杉江敏男であろう。杉江は美空ひばり、江利チエミ、雪村いづみ、の三人娘シリーズで大ヒットを連発した。「ジャンケン娘」「ロマンス娘」「大当り三人娘」である。つづいて杉江は、団令子、重山規子、中島そのみ、で「銀座のお姐ちゃん」「大学のお姐ちゃん」などで社会現象にもなる流行語や新風俗を生み出した。団令子の「アンパンのへそ」というキャッチ・コピーは傑作であるし、お姐ちゃんが若くてハンサムな青年に「あんたMMKね」と言ってからかうMMK(もてて、もてて、困るでしょ、という意味)は当時の女性が使用していた。実際にケペルも若手頃、職場の年上の女性から言われたことがある。このいわゆる「お姐ちゃんシリーズ」の骨格は加山雄三の「若大将シリーズ」に継承されていく。大学の若大将・田沼雄一(加山雄三)、対象的なドラ息子・青大将(田中邦衛)、美人のすみちゃん・澄子(星由里子)と、やっぱりトリオ映画だ。TV時代劇では五社英雄の「三匹の侍」(丹波哲郎、平幹二郎、長門勇)が人気を博した。音楽ではスリー・グレーセス、ベニ・シスターズ、スリー・キャッツなど。
近年の洋画ヒット作品をみても、「ハリー・ポッター」「パイレーツ・オブ・カビリアン」「シュレック」など三人組であることに気づく。トリオは不滅の黄金比率である。
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