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2016年4月14日 (木)

印刷写真術のパイオニア大鳥圭介

Photo_9  大鳥圭介(1833-1911)。天保4年4月14日、播州赤穂細念村小字石戸(現・赤穂郡上郡町岩木丙石戸)の医者・小林直輔の子として生まれた。幼名慶太郎。14歳で閑谷学校で漢学を学び、適塾で蘭学を修め、さらに江戸にでて坪井忠益塾に入る。江川太郎左衛門塾で砲術を学ぶ。中浜万次郎に英語を習う。慶応2年、幕臣となり、開成所洋学教授、フランス式の歩兵訓練にあたった。江戸開城に際し、江戸を脱出、会津から箱館まで逃れ、五稜郭で榎本武揚、土方歳三、荒井郁之助らと新政府軍に抵抗した。土方を除いて幕府軍は洋学の知識の豊富な人材が多い。榎本は地質学・化学・物理学、荒井は数学・気象学。そして大鳥も多彩な分野の研究者である。とくに現在知られるのは印刷と写真の分野での近代のパイオニアとして注目されている。

   活版印刷といえば本木昌造が知られるが、日本で初めて鋳造活字をもちいて印刷、出版したのは大鳥という。大鳥活字といわれる。万延元年(1869年)に「築城典型」、文久元年(1861年)に「砲科新論」などの西洋兵学の翻訳書を活版で印刷した。写真においては上野俊之丞(1800-1877)、島霞谷(1827-1870)、三代目木村嘉平(1823-1885)らに僅かに遅れるものの、写真術の草分けである。薩摩藩主・島津斉彬の娘天彰院篤姫の嫁入りの際、写真術の指導を薩摩藩士に伝授したという。その才能は明治政府で遺憾なく発揮し、明治44年、枢密院顧問として79歳で波瀾に満ちた生涯を閉じたのである。

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