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2016年4月 6日 (水)

太ったナターシャ

   「戦争と平和」のナターシャといえば、健康で活動的な美しい娘、オードリー・ヘプバーンのように細い体をイメージする。トルストイの「戦争と平和」を読んだのは14歳の頃で、旺文社文庫の縮約版だった。晩年のナターシャについて次のような翻訳がされている。「結婚後のナターシャの姿は社交界ではあまり見られなかった。たまに見かけた人々も、あまり彼女には感心しなかった。愛嬌もなければ、親切でもなかったからである。ナターシャは別に孤独な生活が好きだというわけではなかったが、妊娠したり、出産したり、育児や夫の世話に夢中になっていると、社交界のほうをあきらめない限り、そうした要求を満たすことはできなかった。結婚前のナターシャを知っている人たちは、この変化を異常のことのように思っていたが、老伯爵夫人だけは、この変化が、家庭を持ちたいという要求によるものであることを知っていたので、別にこれを不思議とは思わなかった。」これは原文をかなり縮訳しているようで、藤沼貴の訳では次のようにある。「彼女は太り、横幅が広くなってしまったので、このたくましい母親が、昔は細い、敏捷なナターシャだった、と見て取るのは難しいほどだった。」とある。ナターシャとピエールは1813年に結婚して、1820年には4人の子供がいた。ロシア人の女性であるから、さぞかし太っていたことは想像するに難くない。映画にはそのようなシーンがないが、太ったナターシャというのは、幸せな結婚生活を意味しているわけで、大作の結末としてはとても重要な要素のひとつと考えられる。

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コメント

昔は細くて美しくても、長い歳月をかけて別人のように横幅が広くなる女性は欧米人に多いですよね。以前に見たイタリア映画で、村の広場のベンチに腰掛けて、ひなたぼっこしながら時間をやり過ごす老いた男性達が、広場を行き交う人たちを見るともなしに眺めながら、1人のものすごく太った年配の女性がカゴを小脇に抱えてユサユサと通り過ぎるのを目で追い、「あれでも昔は、目が醒めるように美しかった」と、ボソリとつぶやいたのが、妙に可笑しかったのを覚えています。映画のタイトルは忘れましたが…。

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