アチソンライン
トルーマン大統領の下で国務長官を務めたディーン・アチソン(1893-1971)とマッカーサーの政治顧問ジョージ・アチソン・ジュニア(1896-1947)は戦後の同時期に活躍した人物で2人は紛らわしい。「アチソンライン」で知られるのはディーン・アチソンのほうである(画像)。ジョージのほうは1947年に死亡している。1947年8月15日、ワシントンに戻るため、B17爆撃機に搭乗して東京を出発した。17日、ジョージ・アチソンを乗せた爆撃機はオアフ島の西方約100㎞の地点で燃料切れにより墜落した。アチソンの遺体は発見されず、8月17日に死亡したものと推定されている。アチソンラインとはディーン・アチソンが主張したもので、アメリカの極東防衛線から朝鮮半島を除外したため、朝鮮戦争の勃発原因になった宣言といわれる。ディーン・アチソンは1950年1月、太平洋でのアメリカ極東防衛線を、韓国と台湾を除外したアリューシャン列島ー日本の沖縄ーフィリピンを結ぶ線とした。この宣言により米軍は朝鮮半島から撤収し、その隙に乗じて金日成が6・25戦争を引き起こした。その後この宣言はアメリカ共和党から非難を浴びて廃止された。
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