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2016年4月30日 (土)

足利尊氏は逆賊か?

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 足利尊氏墓

   足利尊氏、1358年の忌日、尊氏の墓は等持院(京都市北区)にあるが、墓を参る人の数は少ない。それは「逆賊」の評判が今もあるからだろう。だが尊氏=逆賊というレッテルが貼られたのは明治になってからである。明治44年1月19日付の読売新聞の社説だった。ここでは、水戸学的な南朝正統論の立場から、当時使用されていた国定教科書「尋常小学日本歴史」を批判していた。それを受けて、大阪選出の代議士・藤沢元造が質問書を衆議院に提出。「南北朝正閨問題」は政治問題にまで発展した。桂太郎は明治天皇の勅裁を受けた。そこで南朝が正統と決められた。そのため、北朝の天皇は歴代天皇表に記載しないことになり、正統でない天皇を担ぎ出したということで、足利尊氏は「逆賊」とされたのである。ところで、このあと、足利尊氏に「逆賊」の烙印を押す決定的な事件が起きている。昭和9年、雑誌に「足利尊氏は人間的にはすぐれた人物だ」と書いた商工大臣の中島久万吉(1873-1960)は2月9日、大臣を辞任させられた。

   尊氏の生涯は波瀾の連続であった。楠木正行の亡きあとは、足利の天下であったが、直義とは不和の末にこれを毒殺し、わが子直冬にも叛かれるという不幸な晩年を過ごした。その尊氏も、病には勝てず、正平13年(延文3年)4月30日、54歳の幕を閉じた。

   これまで尊氏像とされていた京都国立博物館所蔵(旧・守屋美孝)「伝足利尊氏像」は、武具や馬具に描かれた紋章が足利氏のものではなく、高氏のものであることなどから、高師直もしくは、その子・師詮(もろあきら)ではないかと言われている。

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コメント

幕末に攘夷志士による、木像鳩首事件というのがあったと思うのですが、尊氏=逆賊という評価は、その頃に定着したのではないのでしょうか?

ご指摘ありがとうございます。おっしゃるとおり徳川光圀が創始した水戸学は朱子学の影響を受けており、皇統の正当性を重視するため、幕末期には足利三代木像梟首事件がありました。ところが明治天皇は北朝の末裔です。この問題には明治天皇も悩んだらしいが、天皇は聡明で明治維新が南朝イデオロギーで成立したことを心得ていた。「南朝が正統である」とさりげなく断を下した。明治44年、文部省の通達で北朝の光厳、光明、崇光、後光厳、後円融の歴代天皇が系譜から除かれた。よって吉野の南朝と戦った尊氏=逆賊の評価は定着したと考えます。

解りました。ご解説ありがとうございます。

明治天皇って「ラストサムライ」に出てくるあんな感じのお方だったんじゃないかって自分には思われるんです。

逆賊かどうかの微妙は歴史の醍醐味ですね。

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