ロダン「考える人」は何を考えているのか?
ロダンの「考える人」は何を考えているのだろうか?この作品を見て、私は、人がどのような感想をもつだろうかということについてことに関心がある。ある人は、芸術的な美的感覚で鑑賞し、またある人は、深刻に考えている哲学者だと思うかもしれない。だがこの有名な彫刻は単独の作品ではなく、ロダンが未完成であったダンテの神曲に着想を得た地獄門の群像の中の1つであった。地獄の門は死後の世界への門なので、おそらく人間の業とか死の問題と関わりがあるのではないだろうか。「考える人」は発表された当時は「詩人」というタイトルだった。詩人ダンテから命名されたのであろう。しかし沈思のポーズに注目され、ブロンズ像を鋳造したレディエによって「考える人」と呼ばれるようになった。これは宗教上で言えば西欧では「キエティスム」(Quietisme)といわれている。静寂主義と訳される。休息、休養を意味するラテン語のクィエスquiesからきた言葉で、カルヴィン派の人々がルター派の信仰態度を軽蔑してこう呼んだのが始まりとされる。広義には、自己の意思や行為を否定して、神の意志とか運命のうちに自己をゆだね、そこにやすらおうとする受動的な精神の態度を意味する。17世紀にフランス、イタリア、スペインで広まったキリスト教哲学だが、純粋な信仰態度はのちの敬虔主義に影響を及ぼし、20世紀のロダンの信仰にも少なからず影響を与えたものと考える。(penseur)
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ψ(`∇´)ψロダンの考える人・・・いったい何を考えていたのか?
それに着目するケベル先生・・たいしたものです。
投稿: ,根保孝栄・石塚邦男 | 2014年11月 6日 (木) 03時07分