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2016年3月23日 (水)

ムッソリーニとファシズム

Photo    独裁者ベニト・ムッソリーニ(1883-1945)は1919年のこの日、「イタリア戦闘者ファッシ」(後のファシスト党)を結成した。彼の日常生活はきわめて平凡なものだった。彼は朝6時に起き、体操をしたのち、オレンジエードか、グレープジュースを一杯飲む。それから軽く馬に乗って、シャワーを浴び、朝食をとる。食卓にはパンとミルク、新鮮なフルーツ。乗馬、水泳、ハイキング、フェンシング、ヴァイオリンを愛好した。酒もタバコもたしなまず、社交生活もあまり好きではない。ちょっとかわったことと言えば、スピード感を愛し、みずからオートバイ、飛行機を操縦することぐらいなものであり、独裁者の日常は、意外に健康的なものであった。ムッソリーニは古代ローマ帝国の復興を掲げたもののローマ皇帝ネロ、カリギュラ、カラカラのようなエピソードがあるわけではなく、彼自身は勉強家で教養も深い知的な人物だった。

    ムッソリーニは、1883年7月29日、イタリア北東部、フォルリ州プレダッピオ郡ドヴィアに生まれた。父は鍛冶屋、母は小学校の教師をしていたが、生活は豊かではなかった。父は熱狂的な社会主義者で、息子のベニトという名は、メキシコの革命家ベニト・ファレス(1806-1872)にちなんだものである。

Romanfasces    第一次大戦後の1919年3月23日、ムッソリーニはミラノで同志150人を集め「ファッシ・ディ・コンバティメント」(戦闘団)を組織した。ファッシ(ファッショの複数)は団結、結束を意味するが、古代ローマの執政官の権威を象徴していた儀式用のファルケス(棒と斧をたばねたもの)を語源とする。これからファッショfascioという言葉が生まれた。1922年ローマ進軍を行なってムッソリーニ政権が誕生した。1924年ファシズムに反対するジャコモ・マッテオッティ(1885-1924)が謎の死を遂げた。これ以後、ムッソリーニは正体を現し始め、首相の権力の拡大、ストライキの非合法化、ファシスト党青年の全国組織「バリーラ」の結成などが進められていた。反対派にはもはやムッソリーニを暗殺するしかなかった。

   1926年4月7日、カピトーロでの外科医世界会議を主宰し終えたムッソリーニが外へ出たとき、銃弾4発がピストルから発射された。ムッソリーニは鼻を負傷した。犯人は62歳のアイルランド女性バイオレット・ギブソンで、精神病院を退院したばかりだった。この狙撃事件には政治的背景はなかったが、ファシスタ党の戦闘員はこの機会をとらえ、反対派の新聞2社の社屋を襲撃した。そして同じ日の午後、ムッソリーニは、ファシズムを「全民主主義社会に対抗する明快にして決定的かつ絶対的アンチテーゼ」と規定する。これは反対派に対する宣戦布告となった。(Benito Mussolini)

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コメント

ムッソリーニが悲惨な死に方だっという話。

教養ある男が独裁者になぜなったのか?やはり時代ですかね?

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