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2016年3月18日 (金)

三浦の殿様・勘解由小路資承

   日本人の姓で一番長いのは漢字五字の「勘解由小路(かでのこうじ)」である。もとは公家の出です。1644年に公家の烏丸光弘の二男が分家して興した家で、京都の勘解由小路の地名にちなんで姓とした。明治時代には子爵となっており、武者小路実篤の母は、この勘解由小路の出である。武者小路実篤は10歳の明治29年夏、三浦半島金田に住む母の弟・勘解由小路資承(かでのこうじすけこと、1860-1925)のもとに初めて一家で行った。叔父はセメント事業に失敗して、ここ金田湾に面した丘の上に家を建てて半農半漁の暮らしを送っていた。叔父の家には膨大な洋書があった。そして農民や漁師たちと親しくつきあい、「三浦の殿様」と呼ばれていた変わり者であった。

    実篤はそれから毎年夏は叔父のもとに避暑にいった。この叔父は、実篤の一生で最も強く影響を与えた人物である。資承はそのころロシア貴族出身の作家トルストイを愛読していた。自らの生活もその影響によるものであろう。明治36年、18歳の実篤は叔父から聖書やトルストイをすすめられて読む。最初に読んだのが、加藤直士訳「我が宗教」「我が懺悔」であった。明治37年、ドイツのレクラム文庫で「ルチェルン」を読み、それからはレクラムにあるトルストイの独訳はほとんど読んだ。実篤はますますトルストイに傾倒した。

   この叔父については大正14年6月に死去したことや、貴族院議員であったことぐらいで詳しい事績は分からない。ただ資承の長女・康子(さだこ)は大正3年1月に志賀直哉と結婚している。康子は直哉よりも6歳年下で鳥毛立女屏風の美人に似た小柄な美人であると「暗夜行路」の中で表現されている。

    いずれにしても、三浦半島金田で実篤が体験した畑仕事は、のちのトルストイズムにもとづく「新しき村」(大正7年)の建設につながっていることは間違いない。

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