女人禁制
真言密教の高野山は、開創当時から明治5年まで女人禁制であり、女性の立ち入りが厳しく制限されている。入山の女人禁制は高野山に限らず江戸時代ほとんどの山で守られていた。この禁を破って登拝した女性が石と化したといわれる巫女石、姥石などがある。対して女性の参詣が自由であった奈良の室生寺は「女人高野」とよばれ、女性の入山が認められた。真言密教である室生寺がなぜ女性に開かれた寺院となったのか。それは徳川綱吉の生母、桂昌院の庇護によるものといわれている。
女人禁制の理由については、一般には、女性の出産や月経の穢れのためとされている。しかしこの他にも、村落社会の行事における男子中心主義が山岳修行に適用されたとか、男性の修験者が山の女神のもとで修業するために世俗の女性を忌避したなどの解釈がなされている。
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