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2016年3月24日 (木)

林静子と廃娼運動

Afb6453d5854b5181b25e0b7410151ac   明治政府は1872年、人身売買を禁じ、芸娼妓解放令を発令したが売春そのものを禁止していなかった。1899年の東京府の娼妓数は、62871人であり、大阪府は6275人である。わが国で、売春が禁止されたのは1956年の「売春禁止法」(1958年3月施行)によってであり、GHQによる公娼廃止指令(1946年)から10年が経過していた。明治以降、廃娼運動が展開されたが、島田三郎の廓清会(かくせいかい)、林静子の矯風会、山室軍平の救世軍などが代表的運動団体である。とくに林静子(1864-1946)は1907年、大阪婦人ホームを設立し、婦人の職業紹介、廃娼運動、禁酒運動の推進に尽力した。

  林静子は1864年12月14日、福井県大野町に土井藩徒士武士林長蔵の長女として生れた。小橋勝之助、実之助兄弟の孤児養育施設「博愛社」の発展につくす。1932年、日本基督教婦人矯風会大阪支部を設立。婦人ホームをもうける。1946年3月24日死去。84歳。(参考:石月静恵「林静子と廃娼運動」歴史と神戸135)

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