佐渡の日
3月10日は「佐渡の日」。佐渡観光協会が1998年に制定した。
佐渡は流人と金山の島として知られる。寺が約250、神社が約300あると言われる古刹・古社の島佐渡は、島流しの地だった。島流しといってもむかしは政治犯や思想犯が多かった。文覚上人、順徳天皇、日蓮上人、京極為兼、世阿弥など。さて、この島が一変するのは近世初頭、金銀などの鉱物が発見されるようになったためである。慶長3年、上杉景勝が豊臣秀吉に佐渡の黄金山から運上金を納めた記録がある。関ヶ原の戦いの後、豊臣の支配下にあった佐渡金山は徳川の直轄地となった。慶長6年、大久保長安(1545-1613)は佐渡鉱山の支配を任ぜられる。相川鉱山の全盛期は慶長末から寛永の中頃にかけて、年間平均金100貫、銀1万貫を採掘したといわれる。だが長安の死後、不正が発覚し大久保家は改易となった。その背景には本多正信・正純ら文吏派と大久保忠隣の譜代武功派の対立があったといわれる。
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