無料ブログはココログ

« もともとは人名が由来の植物の名前 | トップページ | カチューシャ由来考 »

2016年3月22日 (火)

ヤン・ヨーステンと三浦按針

   東京都中央区の八重洲は、1600年4月19日、九州の豊後の海岸に漂着した。日本暦で3月16日。この知らせをうけた徳川家康は貿易船リーフデ号を堺に回航させて乗組員たちと会い、さらに江戸へ回航させた。ここで乗組員たちはそれぞれ自由に帰国させたが、あとに残ったイリアム・アダムス(三浦按針)とヤン・ヨーステンは家康のブレーンとして使え、江戸日本橋に屋敷を与えられて、日本人女性と結婚した。貿易商人ヤンヨーステンの居住地は八代洲(やよす)と呼ばれた。それが八重洲となり、現在の東京にその地名を残していることは広く知られている。しかし1616年に家康が死去すると事情は一変した。秀忠はキリシタン禁制のほうを重視し、異国船の出入りを平戸に限定してしまった。三浦按針は失意のうちに1620年、平戸で病没している。ヤン・ヨーステンは朱印船貿易のため1622年6月バタビアに渡ったが、翌年、再び日本に帰航の途中インドシナ沖で難破して水死した。1623年10月前後のこと。世界大百科事典によるとプラセル(Prasel)で遭難したとある。近年の表記は「パラセル」。

« もともとは人名が由来の植物の名前 | トップページ | カチューシャ由来考 »

人国記」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« もともとは人名が由来の植物の名前 | トップページ | カチューシャ由来考 »

最近のトラックバック

2018年8月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31