志賀直哉「暗夜行路」は「ハムレット」のパクリだった!!
現代の日本文学の作家はほとんどといってよいほど映画好きである。夏目漱石は留学中のパリ博覧会(1900年)で初期の映画をみている。弟子の寺田寅彦の日記をみると映画のことばかり書いている。谷崎潤一郎は映画の製作に深くかかわった時期があった。大岡昇平や三島由紀夫は映画雑誌に評論を寄稿している。映画、ことに洋画は西洋文化の窓口だった。「暗夜行路」で知られる志賀直哉もかなりの映画好きで、「紅葉狩」(1904)から「女が階段を上る時」(1960)まで半世紀以上、名画を鑑賞している。志賀直哉は明治44年に坪内逍遥の文芸協会公演「ハムレット」を観ている。これには不満だったらしく、「土肥春曙のハムレットが如何にも軽薄なのに反感を持ち、かえって東儀鉄笛のクローディアスに好意を持った」とある。翌年に無罪のクローディアスの視点から短編「クローディアスの日記」を発表する。だが大正になって志賀は活動写真でフォーブス・ロバートソン(1853-1937)の「ハムレット」を観てハムレットに同感するようになる。おそらく志賀の見たハムレットはバーナード・ショーの演出の舞台劇をそのまま撮影した映画であろう。これが「暗夜行路」創作の切っ掛けとなったことは疑いない。叔父クローディアスと母ガートルードの間から出生したという疑惑を祖父に置き換えれば、ハムレットから時任謙作が誕生する。もっともシェイクスピアの「ハムレット」にしても、その時代にすでに「原ハムレット」といわれる種本があったといわれるから、文学作品はすべて同工異曲なのかもしれない。(参考:剣持武彦「志賀直哉 暗夜行路論」 清泉女子大学紀要45 1997年、貴田庄「志賀直哉、映画に行く」2015年)
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