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2016年3月17日 (木)

横光利一の日本回帰

Tky200704030095    朝日新聞の投稿欄に「伊賀の霧ほど美しいものはあまりなかった」という横光利一の絶筆「洋燈(ランプ)」の一節が紹介されていた。(伊賀市の高校生・松本咲希さん)。横光の故郷が伊賀であることに興味をおぼえた。

    横光利一(1898-1947)は明治31年3月17日、福島県会津郡東山温泉で、父・横光稲次郎、母・こぎく(小菊)の長男として生まれた。父は通称、利顕(としあき)と訓(よ)んだので、横光利一も「としかず」が正しい。

   しかし、横光の出身地は一般に宇佐市といわれる。父の出身地が大分県宇佐郡長峰村である。宇佐市では「横光利一俳句大会」がおこなわれている。父が土木工事の請負業者だった関係で住地を転々とした。利一が6歳のときに、伊賀の柘植に移住したのだ。

  横光の母の生家は松尾氏。三重県伊賀国東柘植の野村で、川ひとつへだてたところが松尾芭蕉が生まれた灰野である。横光利一が芭蕉の末裔という説もあったが、現在では否定されているそうだ。昭和11年の渡欧の際には高浜虚子(1874-1959)の船中句会に参加している。

   昭和5年に発表した「機械」は独白的な心理描写を中心とするものだが、谷崎潤一郎の「卍」の影響がみられるという。昭和初年、文壇を代表する作家は谷崎潤一郎と横光利一だったが、当時の日本文学の中心問題は、プルーストやジェームズ・ジョイスやラディゲなどの新しい文学をどのように取り入れるかということであった。

    横光は昭和11年2月から8月までヨーロッパ旅行を経験し、西欧文化に対して日本の美的倫理を再認識し、昭和12年4月から8月まで「旅愁」を発表した。

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