無料ブログはココログ

« 丿貫(へちかん) | トップページ | 烙印の女たち 芳川鎌子 »

2016年3月 7日 (月)

北丹後大地震と北村兼子

    昭和2年3月7日午後6時27分、京都府北部の北丹後地方にM7.3の大地震が発生した。地震発生時刻が夕食時と重なり、台所や風呂などの薪が燃えていたため、倒壊家屋から火災が発生した。丹後縮緬の産地で知られる峰山町(現京丹後市)では家屋の97%が焼失、人口に対する死亡率は22%と最大の被災地となった。

Img_0005    このとき新聞社やマスコミは被災者救援のキャンペーンを行なった。朝日新聞社は藤木九三を班長として、救護班を組織し、8日午前、被災地に急行した。この中に入社3年目の婦人記者・北村兼子(1903-1931)もいた。北村はこのときの様子を「婦人4月号」に次のように記している。

    峰山へ来て峰山の印象を残しているものは浴場と裁判所に近き或一軒が奇跡的に残っているばかり、家は必ず倒れている、倒れたら必ず焼けている、焼けたあとには必ず死体がある。風は吹くごとに必ず雨か雪をもつて来る、雪のつもった中を倒れた家の屋根を攀じ電線を手繰りながら、下りたら後から「北村さんがやった!」と叫ぶ看護婦がある。何をやったかと足許を見たらまア!、私の靴は半身焼け残った死体の腹部を踏んだのであった。赤ら顔で面相はそのまま残っているが、胴体は焼けて軽石のように穴だらけ。それとも知らないで私は、とんだことをしてしまった。済まない!しゃがんで合掌した。覚えていたお経の断片を唱えてまた進んで行く。

« 丿貫(へちかん) | トップページ | 烙印の女たち 芳川鎌子 »

「日本史」カテゴリの記事

コメント

こんにちは、
私はフランス人の日本学学部の修士課程の学生です。最近北村兼子について研究しているので、北村兼子について資料を探しているんですけど、フランスでそんなことがたくさんではありません。ケペル先生は他の資料か情報を持てればか北村兼子についてしゃべりたかったらか、私にメールを送っていいですか?
ありがとうございます。

コメントありがとうございます。大阪朝日新聞の女性記者・北村兼子のことは日本人でも知る人は少ないですが、研究に価する人物だと思います。昭和初期の数年間で、13冊の著書と新聞、雑誌など膨大な数の論文、記事が残されています。ただし、社会問題に関することなので当時の日本の歴史的背景を勉強しないと内容の正当性など吟味することができなと思います。北村兼子の先見性、アカデミズムとヒューマニズムに富んだ考え方など今日的に見直すべきだと思いますが、日本人でもなかなか手強いテーマですよ。資料としては、大谷渡「炎のジャーナリスト」東方出版しか知りませんが、北村兼子は関西大学の初めての女子学生であることから、関西大学ではかなり研究されておられると思いますので、一度訪問されてはどうでしょうか。関西大学(大阪府吹田市、電話06-6368-1121)

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 丿貫(へちかん) | トップページ | 烙印の女たち 芳川鎌子 »

最近のトラックバック

2017年7月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31