人名と教養
すこし前の話だが安倍首相が憲法学者・芦部信喜の名前を参院予算委員会で質問され、「私は存じ上げておりません」と回答した。(2013年3月29日)。このことがネット上で話題となったことがある。芦部信喜は日本の憲法学者、宮沢俊義の弟子で、近年の憲法学者の中では最も高名な人物である。安倍は法学部卒で国会議員、それも改憲論者というのがその理由である。だがこのような人を貶める論法は姑息で卑怯という感が否めない。昭和期の憲法学者の名前をあげるとして、美濃部達吉、我妻栄、宮沢俊義の名前は「コンサイス日本人名事典」(1990年版)には収録してあるものの、問題の芦部の名前はない。知らないとしても無教養とまではいえまい。もちろん一国の総理であり、憲法を論ずる政治家としての見識には失望させられる。また憲法の知識があっても、著者の名前を留意しない人もいる。本に書かれている内容が大事であって、著者や書名や発行所には意に介さないタイプの人も結構いるようである。これらの知識は、いわばただの符牒であって教養とは無関係なのである。仮に百歩譲って、芦部信義の名前を認識することが憲法を語る上での最低常識だとして、コンサス日本人名事典に未収載の人名も加えるのなら何人の人名を知らねばならのか。コンサイス約14000名プラス世界人名約1900名(山川の世界史人名辞典)、合計15900名となる。たぶん全て知っている人はいかなる博覧強記の人でもいないと思う。また姓名をすべて知らなければならないのか、業績とか人となりを知らないと、知ったことにはならないのではないか。ピカソのフルネームをいえる人はいないし、エル・グレコの本名ドメニコス・テオトコプロスを知る人は少ない。バッハ、ハイドン、モーツァルト、ベートーベンの名を知らなければ無教養と決めつけるならば、その人はフル・ネームを正確に言えるのだろうか。人名はふつう苗字が通称名だが、ナポレオンやミケランジェロ、ラファエロ、ダンテ、ガリレオなどはなぜか名前で覚えている。とくに規則があるわけではなく慣例としかいいようがない。つまりすべての名前はただの符牒にすぎないのである。
フランスの哲学者ヴォルテールという名前は、本名アルエArouetをラテン表記にしたAROVETLIのアナグラムの一種らしい。ヴォロンテール(意地っ張り)という渾名が由来という説もある。
AKBの川栄李奈ちゃんがある番組でこんなエピソードを紹介している。「あのぉ、私なまえが川栄って言うんですけど、AKBに入りたての時、周りの評判とか気になって、「川栄」でネットを検索してみたんですよ。そうしたら、見事に大川栄策さんしかでてなくって…」
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