孟母三遷
孟子は3歳のとき、父と死別した。孟子の母は、はじめ、墓地の近くに2人で住んでいたが、幼い孟子が墓堀人夫の真似ごとをするので、市場の近くに引っ越した。すると、孟子は商売の真似ごとばかりして遊んだ。そのため孟母は学校のそばに引っ越した。孟子は礼儀を学ぶようになり、孟母はやっと安心したという。
孟子が学校へ行っていた頃の話である。あるとき、学業半ばで帰省した際、母は織りかけの機の糸を断ち切り、「おまえが中途で学業を放棄することはこのようなものですよ」といましめた。それから孟子は朝から晩まで学問に励んだということである。
「孟母三遷の教え」と「孟母断機の教え」の出典は漢の劉向「列女伝」にある。広く知られた故事だが、「孟子」には見えないので、どこまで本当かは疑問である。孟子の父親の名は「孟激」といい、孟子がまだ幼いころにこの世を去った。母親の名はわからないが、姓は「仇」といいます。
三度目にやっと落ち着いたのだが、引越しは2度したことになる。厳密にいえば「孟母二遷」が正しいが、「孟母三遷」として通用している。古代中国では奇数がめでたいとする考えから「三遷」となったのではないか、という説(言語学者の金田一春彦の説)がある。
「三度目にやっと落ち着く孟が母」
「三度引っ越して賢人を仕立て上げ」
「おっかさんまた越すのかいと孟子いい」
「孟父だと引っ越すどころかぶんなぐり」
「機を切る孟母は短慮功をなし」
江戸川柳でも一番人気の故事である。
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