土佐十一烈士墓
慶応4年2月15日、堺港に上陸してきた仏軍艦デュプレックス号の兵に対し、土佐藩士がフランス人11名を殺傷した。いわゆる堺事件である。フランス公使ロッシュは、土佐藩士の斬刑や謝罪を求め、結局、2月23日、箕浦猪之吉ら20人の切腹が妙国寺本堂庭前で行われた。猪之吉は最初に切腹の座に着くと、「フランス人ども聴け、おれは汝らのためには死なぬ。皇国のために死ぬる。日本男子の切腹をよく見ておけ」と言った。しかし、次々と切腹し、11人が切腹した時点で、フランス人達は切腹の悲惨さに驚き、中止を命じ、橋詰愛平ら残り9人は罪人として土佐に返された。現在、堺市宿屋町東の妙国寺宝珠院境内に「土佐十一烈士墓」がある。箕浦猪之吉ほか10名の烈士も名のみ記す。西村左兵次、池上弥三吉、大石甚吉、杉本広五郎、勝賀瀬三六、山本哲助、森本茂吉、北代健助、稲田貫之丞、柳瀬常七。
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