黒部の父、冠松次郎
「黒部の父」と称され日本アルプスの未踏の山域に多くの足跡を残し、山岳紀行文でも知られた登山家・冠松次郎(1883-1970)は、明治16年の今日、2月4日に東京で生まれた。
日本アルプスが開拓されていない明治末期、家業の質屋を経営するかたわら、登山に熱中する。誰もが高い山への登頂を目指していた頃、冠松次郎は流行に背くかのように、黙々と渓谷美を訪ね歩いた。明治44年、松次郎は白馬岳に登り、祖母谷を流れに沿って下り、初めて黒部峡谷に入った。さらにその最奥部にある幻の滝と呼ばれた剣沢大滝遡行に挑戦した。十字峡の命名者でもある。それらの体験記を発表し、著書は昭和3年「黒部渓谷」を刊行したほか「渓」「立山群峰」「黒部」「剣岳」「渓からの山旅」「峰・渓々」「廊下と窓」「雲表を行く」「山渓記」など20冊を超える。
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冠松次郎の本は中公文庫で読みました。あの時代に生まれたかった、ダム以前の黒部の渓を歩きたかった、…つくづくそう思います。
2007年9月に立山博物館で、岩永信雄が遺した昭和初期の立山・剱・黒部領域の実体視写真(視差を利用した立体写真)を系統的に展示した催しがありました。
会場では、冠松次郎所持の地形図や別宮貞俊撮影編集の山行記録映画作品も上映され、全体としてなかなか充実した良い内容の企画でした。
http://www.pref.toyama.jp/branches/3043/new/kikakuten/H19/jittaishi/top.htm
p.s.ケペル先生の番組は…その昔いつも見ていました。
熊倉一雄のあの声で、「何でも考え、かんでも知って、何でもかんでもやってみよう!さてきょうは…」という出だしでしたね。
投稿: tateyama | 2008年2月 6日 (水) 20時58分